B-Max Racing ストーリー第2話

B-Max Story

念願のレース出場へ

社業で忙殺される毎日だったが、組田の唯一の趣味であるクルマやレースを忘れることはなかった。この間もサーキット走行会やレース観戦に出かけていた。

そして、会社を軌道に乗せた組田が37歳になった頃、親しくしていた、レースやチューニングカーの世界では知らぬ者はいないRE雨宮の社長から「レースをやりたいなら無理してでもやりなよ、やらないと後悔するよ」という一言をかけられる。この言葉が眠っていたレース参戦への想いを呼び覚ますことになる。

2004年、知り合いのチューニングショップのポルシェ993で、まだスーパーGT選手権に組み込まれる前の「インターナショナル・ポッカ1000kmレース」に参戦。念願のレースデビューを果たすことになる。組田がレース参戦を志してから実に15年の時が流れていた。
翌2005年も同レースにRX-7で参戦する。この年、組田は現在使用するドライバーネーム“DRAGON”に通じる“ドラゴン・クミタ”の名前で出場している。
その後、2006年から3年間、ポルシェカップに出場する。ただ、あくまでも自分の手の届く範囲での参戦で、リセールバリューのあるポルシェなら、一番お金がかからないと判断してのことだった。

フォーミュラに魅了される

念願のレース参戦を果たし公私ともに充実した日々を送っていた組田だったが、順調だった会社経営にピンチが訪れる。2008年の終わりに世界を揺るがしたリーマンショックである。組田も会社のことを考え、一旦はレースの継続を断念しようと考えた。
しかし、長年の夢であったレースをどうしても諦めることができず、一番お金のかからないカテゴリーを探すなかでスーパーFJと出会う。後に組田がのめり込むフォーミュラカーの扉を開けた瞬間だった。ここから組田は、フォーミュラの魅力にハマっていく。

2009年から4年間は、全国で行われていたスーパーFJの地方シリーズに挑戦し、JAF-F4にもスポット参戦をする。ここでフォーミュラカードライビングの基礎を学んだ組田は、2013年、全日本F3選手権(Nクラス)にステップアップ。5年目の2017年には念願のNクラスチャンピオンを獲得する。

(3)に続く

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