B-Max Racing ストーリー第4話

B-Max Story

勝負師・組田の決断

話は遡るが、2006年からポルシェカレラカップに出場した組田は、3年間の参戦のなかで釈然としない思いを抱いていた。

それは、組田の勝負師たる性格、実業家としての経験に大いに起因するのだが、一つは、イコールコンディションと言われるレースでもマシンの差が大きく、速いチームで走らないと結果はついてこないということ、もう一つは、コスト面が明朗会計ではなく、投資額が速さに繋がっているのか曖昧であることだった。これにはどうしても納得できなかった。

「勝負師」と書いたが、組田は勝負事は好きだがギャンブルは一切やらない。生きた金の使い方をすることに拘るのである。

「これは自分で納得できるよう、自らやる方がいい」。そう思った組田は、早速行動を起こす。本業がリーマンショックでダメージを受ける最中ではあったが、知り合いのメカニックを誘って、2010年にB-Maxエンジニアリングを立ち上げる。

工場の片隅からのスタート

ネーミングの由来は、屏風浦の「B」、一番になりたいという思い、常に全開という意味の「Max」を組み合わせたものだ。

メンテナンスするのは、組田と、知り合いのスーパーFJが2台、従業員は1人という小さな所帯だったが、クルマをいかに速く走らせるかは本業にも役立つと考え、屏風浦工業のレース事業部としてスタートさせた。

現在は、トップカテゴリーに参戦するB-Maxレーシングと、ミドルフォーミュラを中心にレース運営やマシンメンテナンスをするB-Maxエンジニアリングに分かれ、規模も比較にならないほど拡大しているが、チームは2010年に工場の片隅から始まったのである。

(5)に続く

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