B-Max Racing ストーリー第7話

B-Max Story

初年度でF3チャンピオンを獲得

2011年、関口を擁して臨んだ全日本F3選手権で、第3戦からの参戦にもかかわらず、関口は6勝を上げいきなりチャンピオンに輝く。関口のドライバーとしての才能が花開くとともに、宮田のエンジニアとしての能力が参戦初年度にして実証されたのである。

翌2012年は山内英輝、2013年は千代勝正を起用し、シリーズ3位を獲得したB-Maxエンジニアリングは、その実績をもって、ニスモに全日本F3におけるNDDP(ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム)を任せてほしいと申し出る。

当時、トヨタやホンダのように独自のドライバー育成システムを持たなかった日産は、全日本F3(Nクラス)とスーパーGT(GT300クラス)で、NDDPとして育成プログラムを展開していた。

その交渉が進むなかで、ニスモ側から思わぬ提案がなされた。全日本F3のNDDPを任せるので、セットでスーパーGTもやらないかというものだった。

スーパーGTへの参戦

フォーミュラに傾倒していた組田は、スーパーGTにはあまり興味がなかった。しかし、全幅の信頼を寄せていた宮田が「日本でレースをやる以上、スーパーGTは絶対やるべきだ。チャンスがあるならやった方がいい」と助言し、スーパーGTにおいてもNDDPとのジョイントが決まった。

これを機に、B-Maxレーシングチームに改称し、2014年から全日本F3では「B-MAX Racing Team with NDDP」として、スーパーGTではエンラント名こそ「NDDP RACING」のままであったが、車名を「B-MAX NDDP GT-R」として3号車のメンテナンスと開発を請け負うことになる。

こうして、また一歩階段を登ることになったB-Maxレーシングは、2017年から自チームでスーパーフォーミュラへの参戦を開始し、2018年からはスーパーGTでGT500クラスのGT-Rを任され「NDDP RACING with B-MAX」として、R35型GT-Rの最終シーズンとなった2021年までの4年間を戦い抜いたのである。

工場の片隅でスーパーFJ2台から始まった小さなチームは、僅か8年という短期間で国内トップチームの仲間入りを果たしたのである。

(8)に続く

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